わたしとアルベルゲ
カミーノサンジャックの太陽
佐藤壮生(編集者)
2010年の冬、美術家として生きていこうとイギリスでフリーター生活をしていた20代後半。パリ、スイス、ドイツでアート作品設営のお手伝いををしながらアルバイト生活。パリのミュージシャンの幼馴染の家に転がり込んで、トイレは共有、キッチンと風呂を含めて6畳くらいの部屋に2人暮らし。中華食料品店で乾麺のUDONと安い挽肉を買って、内臓から暖をとる日々。今思うと、よく半年も住まわせてくれていた、感謝。
巡礼を知るきっかけは、パリのメトロ(地下鉄)サンジャック駅。壁に帆立のマークがあって、なんだろうなーと思って友達に聞いてみたらスペインに巡礼の道があるという。ちょうどバイトもキリのいいところだったし、ずっと居候しているのも申し訳ないと思っていたし、春で少し暖かくなってきたから、いつものバックパックを背負って、サンダルみたいな靴だけ買い替えて、気まぐれに向かったサンジャンピエドポー。
気まぐれというのは、ダジャレの写真プロジェクトを思いついたから。フランス語でカミーノサンジャック、カミーノ、カミ?髪?神?紙のサンジャック。ハイジャックみたいないびき、紙でサンを、ジャックする、紙のサンジャック。その頃、四六時中持っていた絵を描くためのポストカードに鉛筆で穴を開けて、穴を太陽にかざすと手に太陽をつかんでるみたいな写真が撮れた。太陽に向かって歩く巡礼路にふさわしい駄洒落だと勝手に盛り上がり、なんか発見した気がして、歩くことにしたサンチャゴ巡礼。
そして初日、寒さと慣れなさで中盤に足が攣る。残り15km.いきなり脱落か、と焦りながら休みながら進む。雨も降りはじめて、安物のカッパはもうびしょびしょ。途中で素敵なおばさんが足をマッサージしてくれて、なんとか復活。残り10km、足を引きづりながら夕焼け、暗くなって着いた修道院。震えるほど有難い気持ちで、蝋燭の灯りで食べた暖かいスープとパン。そして布団でぐっすり。神様ありがとう。
せっかちで頭でっかちなあの頃を僕は、いつも何かに焦っていて、脳は常にぐるぐるなにかに忙しかった。夢中で熱中できることに憧れつつ、死ぬほどやりたいことがあるわけでもない。でも、幸いなんでも楽しめる性格なので、初日を超えてからは毎日歩くのが楽しかった。アルベルゲを朝早く起きだして、朝日見ながら20-30km歩いて、昼前に次の町につく。丘の上の教会に行って他の巡礼者の歌を聞いたり、カフェで絵を描いたり。そして、道中に同じ道を歩いた人に、紙のサンジャックで太陽をつかむ写真を撮影しながら、日々すこしづつ進んだ。
変化があったのは1週間目くらい。身体が軽い、それ以上に気持ちが軽い。何にそんなに焦っていたんだろうとわからなくなるくらい、心と身体が同調し始める。ランナーズハイみたいな感じなのかもしれない。忙しい頭が落ち着いてきて、これ以上やらなきゃいけないことがない。その上で創作や工夫の時間がたくさんあるマジックタイムへ突入。そこからはもう、楽しくて仕方がない。
3週間目にカメラを盗まれた。チッ、スペインめ、と悪態もついたけど、そこはもうゾーン入ったクリエイターマインド。何が悔しいってこれまでに紙のサンジャックで一緒に歩いた人たちの太陽を掴んだポートレート写真が無くなったこと。帰ったら送るね!って言ったのに、その申し訳なさ。
すぐに次の街で奮発して一眼レフカメラを買って、紙のサンジャックプロジェクト再開。人選のルールは、ちゃんとどんな人か思い出せるくらい話して、撮影したいって思った人。
そんなゆかいな仲間たちとの冒険を話し出したら一冊の本になってしまう。通り過ぎて、並走して、先に行って、置いていって、必要なら一緒にいて、それぞれの時間をみんなが尊重して、でもずっと同じ道を歩いてた人たち。たくさんの年代や人種の人たちと出会って別れた45日を経て2010年の7月25日。最後は少し多めに歩いて、聖ヤコブの日曜日にサンチャゴデコンポステーラに到着。パッカーン(扉)。
その後フィエステラまでの道は、これまた違う雰囲気がヒッピーでクレイジーだった。来年の3月は日本で大変なことが起こるかもしれないから気をつけてねって、何人かに言われた。それが2011年3月。あと、巡礼のネタバラシになるけど、45日歩いた後、ポルトガルまでバスで向かった時のあのスピードは、ぜひ味わってほしい。もう、F1気分の疾走感。
その年末、友達のフレンチガールに誘われて彼女の実家があるブルゴーニュへ。大きなもみの木が家の前にあって、暖炉の前で3mのクリスマスツリーを飾り付けをしながら、ツリーは曼荼羅だったのかぁと発見。その年に彼女のお父さんが亡くなっていて、どこか特別なクリスマス。太陽が弱くなってく冬至の12月21日。やっと編集を終えた紙のサンジャックのポートレート写真をみんなに送ったから、この年ほどクリスマスメッセージをもらったことはない。
カミーノ、楽しかった。
それから12年。震災があり、日本に帰って、子どもを授かった時に、また巡礼に行きたいと思いました。その息子も今10歳。本当は70歳の父も誘って3人で行きたかったけど、父は膝が痛いというので断念。そしてついに、2023年6月から私と息子で巡礼を歩いています。もしご一緒する機会があれば、ぜひ声をかけてください。一緒に歩きましょう。
ブエンビアへ! ブエンカミーノ!