Japan Albergue Association 日本アルベルゲ協会 Japan Albergue Association 日本アルベルゲ協会

日々の活動報告

「ふくしま浜街道トレイル」を歩く(第1回:その2)

来た道を戻り、農道に出る。土手を登るともう目の前が磯山展望緑地である。

磯山展望緑地

この磯山展望緑地は埒浜(らちはま)防災緑地の最北部に位置し、徒歩でも十分足らずで宮城県との県境に至る場所である。せっかくなので県境まで行ってみる。とりあえず看板は立っている。これが青森、岩手、宮城を経てなら感慨もひとしおなのだろうが、最寄り駅から歩いて30分程度では特になんということもないのが残念である。

来た道を戻り再び展望緑地。高さ14メートルの小高い丘からは太平洋が見渡せ、埒浜地区出身の歌人、本田俊子さんの歌が刻まれた「碑」がある・

本田俊子さんの歌碑

「磯山の 枯れ葦原乃 津波跡 舞ひていとほし 鎮魂の雪」

  震災後新たに整備された相馬亘理線に沿って延びる防災緑地を南下。海岸沿いに磯山展望緑地から埓浜防災緑地、釣師防災緑地公園と、相馬亘理線を含めて津波に対する多重防御として整備された緑地が連なる。あずまややトイレも整備され、長距離を歩くのにも不便はない。ただ、幹線道路のようにコンビニ等のお店はないので、食料と飲料は用意しておく必要がある。もっとも、登山や探検ではないので、いざとなればどうにでもなるというのが、人々の生活圏を行く巡礼のよいところである。

あずまや

被害の状況を伝える看板

 しばらく海岸沿いに歩くと小高い丘が見えてくる。釣師浜防災緑地公園の「想いの丘」である。夕暮れの光にシルエットになった肩を寄せ合うようなモニュメントが印象深い。

丘の麓、登り口に自然石にプレートをはめ込んだ説明書きがある。

釣師北畑墓地跡

この場所には北畑墓地がありましたが、東日本大震災の大津波により全流失しました。
この場所は、永遠に思い出としてあってほしいという気持ちが大きく、いつまでも皆様の安らぎの場として続くように願い、盛土高さ10mの想いの丘として整備されました。
10mに設定した理由は、東日本大震災時に町を襲った大津波の高さが「10m以上」と言われているためです。(正確な津波の高さの記録はありません。)
流された墓石と御遺骨は、ここから西方約2kmにある龍昌寺(岡地区)で合葬供養されています。

令和元年10月1日 釣師北畑墓地会

釣師浜防災緑地公園 想いの丘 モニュメント


 
想いの丘に登る。祈念碑と、鐘のついたモニュメントと、被災前から被災後、そして復興までを記録する(そのための空欄がある)石碑が並ぶ。関係者なのだろうか、若い男女が静かに佇んでいる。

 大きく「未来へ繋ぐ命」と彫り込まれた祈念碑にはこう刻まれている。

 

伝え継ぐ大津波の教え
津波が来る前に必ず逃げよ。
そして自分を助けよ。
この地は、大津波により壊滅的な
被害を受けた。
多くの命と家を失った。
この記憶を語り継いでほしい。

発生日時 2011年3月11日 14時46分
震 源 地 三陸沖約130km 深さ24km
規  模 マグニチュード9.0
震  度 新地町震度6強(最大震度7)
浸水区域 約904ha 町内の約5分の1の面積
死者・行方不明者 119名
家屋被害 全壊474世帯、大規模半壊45世帯
半壊111世帯

 

 丘から南を望む。防災緑地公園というだけあって、パークセンターのある子どもの広場、復興フラッグ広場、海の丘、オートキャンプサイト、BBQサイト、みんなの広場、マウンテンバイクやスケートボードのためのパンプトラックと設備は充実している。けれども、ここが震災前は海岸沿いの住宅街で、唯一の交差点があった釣師地区の中心部であったこと、震災後「防災危険区域」として居住のできない地域に指定され、防災緑地として再整備されたことを考えるとやはり複雑な気持ちになる。元の家の場所に戻りたい人もたくさんいたに違いない。けれども、そのあたりまえの想いがあたりまえにはかなえられない現実がある。そんな、様々な「想い」が交錯する場所でもあるのだろう。

 元気な子どもの声にはっとする。子どもの広場に設置された遊具に歓声をあげる子どもたちの姿が遠くに見える。

  声のする方へと丘を降りていくと、大型遊具の「しんち丸の大冒険」をはじめ、野外設置型のトランポリン「ぴょんぴょん山」、「ふわふわ芝生」「マウンテンスライダー」「オクトパススライダー」等、子どもたちが歓声をあげるのも無理もない充実した遊具がいくつも設置されている。やはり、子どもは未来であり希望だと思う。そして、色々な想いはあったとしても、子どもたちのため、という一点を起点とするなら、そこから一つの道が示されるのではないかと、柄にもないことを考える。

 パークセンターでホットドッグとレモネードを購入。計950円。やはり暖かい食べ物はありがたい。ちなみにこのお店には「SHINCHI LEMONADE STAND」という素敵な名前がつけられていて、“If the life gives you lemon, make lemonade!”(「人生があなたにレモンを与えるなら、レモネードを作ればいいのよ!」)という言葉が添えられている。公式HPの説明を読むと「試練や困難(すっぱいレモン)があっても、乗り越えてもっとよい未来(甘くておいしいレモネード)にしていこう! 多くの困難を乗り越え完成させた釣師防災緑地公園が、さらに賑わいあふれる魅力的な公園になりますようにと願いを込めて・・・」とある。(公式HP http://tsurushi.site/shinchi-lemonade-stand/

 センター内の震災前のジオラマや、展示された写真を見ていると時の過ぎるのを忘れてしまう。迫る夕闇に追われるようにして外に出る。これも子どもたちが喜びそうな「ひみつの抜け穴」を通って復興フラッグ広場へ。すでに辺りは暗くなり始めていて、復興フラッグがなかなか上手く撮れない。タイムスケジュールのないのが巡礼の良いところなのだが、写真を撮ることを考えるとやはり太陽の角度には気をつけている必要がある。

 この復興フラッグは、震災後に新地町で捜索活動を行っていた自衛隊員が、瓦礫の中から小学校の名前の入った日の丸の旗を発見し、瓦礫と化したアルミサッシのフレームを旗竿として応援旗として掲げたのが始まりという。その後、3代目まで自衛隊員によって掲げられ続け、2013年末、ぼろぼろになった旗を見かねた地元住民を含めたバイク愛好家たちが新しいデザインの旗を作成。翌201411日より「復興フラッグ」として掲げたものである。その後、復興工事のために移設されたり、海風による劣化のため同じデザインで新調されたりと代を重ねながら、新地町の復興のシンボルとして今も旗めいている。

 復興フラッグを管理している「復興フラッグの下へ・・・For complete revival」の公式Facebookから(https://www.facebook.com/Reconstructionflag

 すっかり暗くなった。歩数計を見ると2万歩を超えている。距離にすると16㎞。今日はここまでである。復興フラッグの立つランナバウト式の交差点から駅に向かう。新地駅から歩き始めて新地駅に戻るという、「巡礼」というよりは「散策」のようなものではあったが、これはこれでありだと思う。四国巡礼にも「区切り打ち」があることだし。